どこから説明すればいいのだろうか。
読みにくかったり、わかりにくかったりしたら
ごめんなさい。出来るだけ、
外の人にも理解しやすいように書くつもりです。

まずはじめに、僕達は、
自分ひとりの身体を持っていません。

ではこの身体の持ち主はそもそも誰なのか?
それも厳密には「誰、」とは言いにくいですが、
一応僕達は、それを「本体」のことだろう、と
位置づけています。

「本体」というのは、僕達の造語で、
一般的には何と言うのかわかりません。
主人格、と外の人はよく言うけれど、
主人格って、表に出てる人を全般に指すんでしょう?
そうするとニュアンスが違ってしまうんです。
なにしろ、「本体」は、もう何年も、
誰の前にも姿を現していないのですから。

「本体」は、「最初にこの世に生まれた子供」です。

しかし、僕達の間でも、
本体は、「最初にこの世に生まれた子供」1人だ、という人と、
本体は、「母と兄によって名前を与えられた子供」の
2人いる、という人の2通りに意見がわかれています。

「母と兄によって名前を与えられた子供」を、
「本体」と位置づけるか、「仮面」と位置づけるかで、
議論になったこともありますが、
はっきりとはわかりません。

「仮面」というのも、僕達の造語で、
一般的には何と言うのかわかりません。
副人格、と外の人には言われますが、
ニュアンスが正しいかどうかはわかりません。

「仮面」は、本体に対して、どんな感情を持っていても、
最終的に「守」ってしまう人達のことです。
なぜ守ってしまうのか?ということも、
議論になりましたが、ある一定の条件を満たす者が
そのような行為を「自分の意思とは関係なく」
してしまうことから、だんだんわかってきました。

自分に名前を与えた者、自分の名前を呼んだ者に
服従、というと嫌な言い方ですが、
使役されてしまうことがわかりました。

そういわれてみれば、「本体」がまだ
動いていた頃も、本体の願いには逆らえなかったし、
本体に殺意を持つ者が彼女を殺そうとした時も、
殺す事はできませんでした。

「最初にこの世に生まれた子供」は、
僕達の存在を「知りながら認めず」、
ただ泣いてばかりいます。
なぜ僕達の存在を「知っているのか」わかるかというと、
僕達が本体の身代わりになり傷つくと、
彼女が泣くからです。
痛いのは僕達なのに、僕達を見ながら泣くのです。
ですから存在は知っているのでしょう。
でも、僕達の存在に戸惑っているのか、
認めません。だから、
そういう症例の本や映像なども、
彼女は決して読まなかったし、聞かなかったし、
拒んでいます。

では僕達に名前をつけた人は誰でしょう。
それは、2人目の本体だと位置づける人もいる、
「母と兄によって名前を与えられた子供」です。

僕達は、彼女に名前を与えられました。
彼女のことを、「母親」だと思っています。

「いつも全てに怯えている少女」と、
「みんなの母親のような存在」。
この二人のことを語らなくては、
僕達のことを話すことはできません。

僕達の中で、「仮面」とは少し違う人達がいます。
彼らは、本体達と対等なのです。
なぜでしょうか?
それも当然、議論になりました。
本体達に悪意を持つ人々から「狡い!」という声が
たくさんあがりました。

答えは、本体が名づけたわけではなかったからです。
彼らは、彼らの中で、家族として、生きているのです。

彼らは本体達に名前を呼ばれても、使役されません。
何故だかはわかりません。本当にわかりません。
ですが、外の人に名前を呼ばれると、使役されます。
外の人と僕達は、何が違うのでしょうか。
身体の有無でしょうか?それだけでしょうか?

僕達は、「名前」について、使い分けをしています。

身体の無い僕達に、戸籍の名前はありません。
だから、付けられた名前が、そのまま「本名」です。
苗字が無くても、「本名」です。

「本名」を他者に知られてしまうと、
他者がもしも悪意のある人だったら?
恐ろしい事になります。

実際、その恐ろしい事は現実に
起きてしまいました。

「本名」を名指しで呼ばれると、
僕達の「意思とは関係なく」呼んだ相手のもとに
呼び出されます。
呼んだ相手が本体ならば本体の元へ、
外の人ならば表へ呼び出されます。抗えません。

次にそのまま何かを「断定」もしくは「命令」
されると、言葉の通り「実行」されてしまうのです。

この恐怖が伝わりますか?わかりますか?
どういうことだかわかりますか?

すぐさま外のほかの人に「打ち消し」か
それよりも強い「命令」をされないと、
言葉の通り「実行」されてしまうのです。
抗えません。何故かはわかりません。
ただ、そうなるのです。それは事実です。

その「事件」が起きるまでは、
僕達はわりと気軽に人に名前を教えていました。
人に「本名」を呼ばれると、嬉しいからです。
「必要とされている」気分になれるからです。
ですが、「事件」以後は、
みんな「本名」を教える相手や場所を
選ぶようになりました。

では「事件」とはなんだったのでしょう。

それは、2000年頃のことです。
まだネットを始めてから1年も経っていない頃のことです。
ネットでは「HN(ハンドルネーム)」を使用しますよね。
僕達の中の一人、「るー」は、
当時HNを考えるのが面倒くさくて、
姉の名前をHNにしていました。
姉の方は、妹の「るー」の名前をHNにしていました。

(※「るー」とはあだ名で、「本名」ではありません。)

1つのジャンルのサイトで長く付き合っていくと、
みんな自然と親しくなりますよね。
彼らも自然と、仲間が出来ていきました。
そのうちみんなHNではなく、HNを崩したあだ名で
呼び合うようになりました。
みんな「るー」のことを、「みーちゃん」と
呼ぶようになったのです。「るー」は
それがとても苦しくて切なくて、
「私の名前は違うのに!!」と怒ります。
誰に怒ったわけでもありませんが、
嫉妬したのでしょう。
僕達は「名前を呼ばれる」ということに
飢えていましたから。

そこで「るー」は名前の交換を突然やめました。
仲間は全員、「紛らわしい!」と混乱しました。
当然です。誰も彼らを責められませんね。
この混乱を収める為に、「るー」は
僕達の事情を仲間に説明しました。

それからしばらくして、
TVで「多重人格少女ヒロ」という番組が放送されました。
その放送自体はCMで存在を知っていましたが、
本体が泣いて嫌がるので、僕達は観ませんでした。
お風呂に入ってすごしました。

お風呂上りいつもの仲間のいるチャットに
入ろうとすると、そこに、先に二人来ていました。
一人はそのチャットをいつも荒らす人。
もう一人は仲間の一人でした。
ROMしている人が数人いました。
みんなその荒らしが嫌いだったので、
入らずに見物していたのでした。

その荒らしは、TVで前述の番組を観ていました。
そこで番組の少女を叩き出した時、
仲間の一人が、「でも瑞穂もそうだから、
そういうこというのはやめろよ。」
と言ったのです。

彼は、「るー」のことを指して言ったのですが、
表に呼び出されたのは、「るー」ではなく、
名前を呼ばれた「瑞穂」でした。

「なに?あいつらってそうなの?」と
荒らしは今度は、ROMしている僕達全員に向かって
「ROMってないで入ってこい!」と言い、
瑞穂に対し名指しで、とてもここでは言えないような
ひどいことを言いました。あることないこと・・・。
それだけではすみませんでした。
どうやって調べたのか、
プロバイダーのメールアドレスにも、
ひどい言葉ばかりのメールや、
ウィルスの添付ファイルを
毎日数百件送ってきました。
プロバイダーのアドレスは、
ウィルスを検知すると、その旨を伝えてくるので
わかりました。

そうして、「橘瑞穂」という人間は、
この世から、消されたのです。
僕達は長い間、彼女を喪ったという実感が得られず、
どこかで生きているんじゃないか?とか、
そのうちヒョッコリ戻ってくるんじゃないか?とか
考えていましたが、彼女は亡くなったのです。
実感が湧いてきた頃、同時に、
ものすごい喪失感が襲ってきました。
どこを探しても、彼女は帰ってこないのです。
どれだけ待っても、彼女は帰ってこないのです。

今までも、何人か消えた事はありました。
「消える」というのは、自然に「統合」された人と
そのまま「自然に還った」人と。
しかし、外の何者かによって、
命を奪われたというのは初めてのことだったのです。

僕達は、彼女の死から学びました。
「名前」の重要性と危険性です。

しかし何故、僕達は、「卒業式」以外の場所では
「橘瑞穂」と名乗っているのか?ですが、
いくつかの理由があります。

1つは、PCが同じでHNをたくさん使用するのは、
管理人側には「荒らし」のように受け取られる、と
昔仲間に忠告されたこと。

2つめは「るー」は自分が殺される筈だったのに、
自分が生きていて、姉が死んだ、という事実に
負い目を感じているのです。だから、
彼女が生前「サイトを作って詩を載せたいね」
と言っていたのを実現させたとき、
「管理人:橘瑞穂」と表記したのです。
自分のサイトを持つことが故人の夢だったから。

COSMOSのなかで、「橘瑞穂」はいまも
生きているのです。みんなの、COSMOSのなかに。

でも実際管理しているのは、
当然「副管理人」のほうです。
そこで、「彼南」と名乗っています。

これはなぜ「るー」ではないのか?
これは、「瑞穂」が死ぬ前後、
必死にチャットで彼女を救おうとしたのは
「彼南」だから。「るー」は、
何も出来なかったのです。
何も出来なかったから、
名前を名乗れなかったのです。

でも表記は「彼南」でも、中身は、
彼南一人ではなく、複数人います。
勿論その中には「るー」もいます。
COSMOSもまた、ここと同様、
複数管理人がいるのです。
COSMOSに掲載している詩を全て
故人が書いたわけではなく、
ほとんど僕達が書いています。
勿論彼女の物もありますが、
古い詩はルーズリーフやノートに書いていたので、
それらは人にあげてしまったり、
紛失してしまったりで、
全ての詩を掲載、はできていません。

「COSMOS」の名前の由来は、
高校時代ノートに書いた詩集のタイトルであり、
(小)宇宙であり、秩序のことであり、
彼女の一番好きだった花秋桜であり・・・

僕達は(小)宇宙、心というニュアンスで、
よく「COSMOS」という言葉を使っています。

名前の説明がとても長くなってしまいましたね。

ですから、僕達が普段使っている名前は
「本名」ではありません。
「橘瑞穂」だった人はもうこの世にいないので、
この名前を名指して命令されても、
僕達にはなにも生じません。
「Lasen」や、「るー」という名前も同様です。
これらはあだ名で本名ではありません。

さて、一般的に知られている、
解離性障害と、僕達では、何かが違います。
それは、これを読んで下さっている、
解離性障害の方ももしかしたら感じているかも
しれません。
ここで、違いを述べていきたいと思います。

まず解離性障害といってもピンとこないかも
しれません。世間では「多重人格」と
言われる事の方が多いような気がします。
多重人格といっても、
当然漫画やアニメの観過ぎではありません。
「障害」に憧れたりもしませんし、
僕達は、僕達の実際の状況と、
日々向き合って、必死に闘って、
生きているのです。

一般的に多重人格とは、
『主人格がいて、副人格がいて、
基本的に副人格どうしは可能でも
主人格と他の連中はコンタクトしにくい』そうです。

これを、『本体がいて、仮面がいて、
仮面同士は可能でも
本体と仮面達はコンタクトしにくい』と
言い換えると、僕達にも経験があります。

小学校の卒業式の日(1992年3月18日火曜日)
まではそうでした。

『人格ごとに、それぞれ何かを司っていることが多く、
基本設定のように年齢もなんも全て固定で、
概ね「○○の記憶を持ってる」とか
「□□の感情が分離してる」とかになっている。』

※気持ち的に「人格」という言葉の使い方に
語弊を感じますが便宜的に使用します。

これも、僕達は経験があります。
本体「最初にこの世に生まれた子供」が、
姿をくらますまではそうでした。

『解離性同一障害は、、本来、
幼児期にはバラバラであった各感情が、
統合されずにそれぞれ別個の意志をもってる状態だが、
時期が進むなり、何らかのきっかけで、
それぞれが、ホントにそれぞれの独立した個人になる。』

僕達にとってのきっかけは、
小学校の卒業式の日の「事件」、本体の失踪、
「橘瑞穂の死」、そして「恋愛」、
「結婚観の変化」などだった。

中でも僕達の生活を大きく変えたのは、
本体の長期不在だった。
司令塔のような存在の喪失によって、
それまで与えられていた「役割」を
どうしていいかわからなくなり、
それまで分担していたすべてのことが、
曖昧なものになり、それぞれがそれぞれ
自分で考えるようになった。
仕事にあぶれて私生活が自由になった感じだ。

『成長もすれば年齢も変わる』

以前友人に、「いつから数えての年齢?」
と尋ねられた。僕はうまくこの質問に
ニュアンスを伝えられずに、
「年齢」とは「成長」に対する「名前」だと
答えた。でも誰かうまい説明が出来るなら、
どうか説明してください。

『つまり、一般的に言う解離性同一障害は、
あくまで、「本体」の分かたれたパーツ達。』

そこから完全に「別個の個人たちが多数同居」してるのが、
僕達の状態。

『ずっと世の中に接してるうちに、
そこまで「育った」ってこと。
意志力が強くなったと言い換えてもいい。』

個々人がバランスよくそれぞれに成長したんだ。

こうなるには、私生活充実時代も、
重要だったということ。
僕達はその期間が本当に苦しくて、
辛くて、パニックに近い状態だったのだけど、
でも、嬉しい事も、楽しい事も、
たくさん味わった期間でもある。

『ここまでになると、互いに折り合いもつけられるし、
日常生活での支障はほとんどない。
その段階で、「解離性同一障害」の治療は
終わったと考えていい。
そこから統合して「1人」になるか、
同居状態を続けるかは、
本人たちの考え方と、「本体」の状況次第。』

解離障害の治療=統合が最終目標と
思ってる人が多いけれどそれは、
『「1人」が正しい姿だ』という
思い込みによる押し付けに過ぎない。

スタートは、現実を耐えるために分割された
(乃至は、統合をかけずにそのままでいた)という
逃避に近いものだけど、そこから発展して、
それぞれが個人として育って、
それぞれに価値観や大事なものを持ってる。
そこが、一般的な解離性同一性障害との違いです。

さて、小学校の卒業式の日に、
僕達に何が起きたのでしょうか。

あの日、
本体「最初にこの世に生まれた子供」は、
死ぬつもりでいました。

家では、名前も呼ばれず、虐待されて育ち、
学校では、入学から卒業までいじめられてきて、
本体は今までも何度も家出や自殺を試みましたが、
どれも失敗に終わっていました。

(※客観的に「虐待」という言葉を使いましたが、
主観を入れると語弊があって好きな言葉ではありません)

今度こそ、卒業式こそ、
「空が晴れていたら、校庭を見ながら」
死のうと思っていたのです。

勿論本体が死ねば僕達もどうなるか
わかりません。多分死ぬでしょう、
だから死にたくない、と必死になんとか
食い止めようとした人もいたし、
ただ泣いているだけの人もいたし、
なぐさめようとする人もいたし、
一緒に死のうという人もいたし、
本体を本気で殺そうとした人もいました。

でも、1992年3月18日(火曜日)、
僕達の住む地域は、バケツをひっくり返したような、
ものすごい大雨だったのです。

結論から言えば、
その日本体は死ぬ事が出来ませんでした。
でも、精神は、その日に
壊れてしまったのかもしれません。

その日を境に、
僕達の人生は変わったのですから・・・・。


文章協力:しゃのに感謝!

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