卒業式
〜おもうに。〜

僕らには理解できないことがいくつかある。
まずひとつ。

最近主にネットでだが、
「自称」多重人格者が急増しだした。
彼らには決まって同じような特徴・傾向があり、
それらをざっと書き出してみると

・チャットで人格交代劇をする。
(会話はそんなに遅くないよ。高速でしゃべってるんだから)

・それの交代時大喧嘩したり唸ったりする。
(ギボアイコかお前。)

・サイトに人格解説がある。
(漫画じゃねんだから。
そもそも主観が入っちゃって解説なんかできないよ。)

・名前が全員ヴィジュアル系バンドのメンバーか
夜露死苦ばりのすごい漢字の人々
(コピペしないと自分のPCじゃでないような名前の人々)

・自分で自分のことを別人格と言う
(○○@別人格、とか。)

・日記に人格同士の対談が掲載されている
(なにがしたいのかよくわからない。)

・ブラックなゴスロリ趣味(血糊とか眼帯とか包帯をつけてる
(ゴスロリ自体が嫌いなんじゃないので念の為。)

・リスカ画像を乗せるのが大好き。
(気持ち悪いから勘弁してくれよ。)

・・・・理解不能です。
僕らとそうでないひとたちを見分けるのは
とても簡単です。
彼らの言動を注意深くみていれば。

サイトのどこかで
「他人になれるから好きですっ☆」とか
言っている人。これ意外に結構多いんですが、
・・・・・他人にはなれません。

他人になれる、と言っている時点で
外からそれはそういうものだと
思い込んで憧れている人の発想で、
完全に似非です。

他人になれると思っている人が非常に多い。
自分が他人になれるわけではないのに。

うまくいえないけれど、
四畳半の部屋に友達となんにんかでルームシェアしてるのを
想像してください。

『ピンポーン。宅急便でーす』

そこでAさんが「はーい」と玄関に出たとしましょう。
「Bさんですか?」といわれ
Aさんは自分ではないので部屋のなかにむかって
「Bさんの荷物だったよー」と呼びますね。
そこでAさんは部屋に戻り、
Bさんは玄関で荷物を受け取ります。

それとおなじなんだけど、
巷で流行してる似非さんたちの言い分だと、

『ピンポーン。宅急便でーす』

「Bさんですか?」といわれた時点で
Aさんは心の中でこうつぶやきます。
「マヤ、仮面を被るのよ、今からあなたはBになるのです!」
「はーいわたしBでーす」

・・・おわかりいただけただろうか。

アンタらはせいぜいガラスの仮面でもかぶっとれ!と
言いたい。

僕らは他人にはなれない。
生まれたときから死ぬときまで、
僕は僕であり続ける。

僕の友人にまさに自称多重人格者がいる。
彼女はいつも自分に都合が悪くなると
すぐ他の人の所為にする。

「いまひどいこといったのは○○だよ!僕じゃないよ!」
「いやなこといわれたの?きっと○○だよ!」

たとえそうなのだとしても、
僕らは責任転嫁はしない。
友達は(たとえただの知り合いでも)売らない。
僕がやったことでなくても、
たとえば身内がやった不祥事を、
僕はすみませんと素直に謝るだろう。
たとえ無実であろうとも。
たとえ自分のしたことではなくても。
本当に全く中でも面識が無くて、
聞いたことも無いようなのならともかく、
彼女が使う自称別人格は
彼女がとてもよく知っている自称「仲間」なのだ。
仲間を売る神経。
これぞまさに僕にはわからない。

ひとつわかることがある。
彼女も含め似非のひとたちは、
「捨てHN」くらいにしか思っていないんだ。
だから愛情もへったくれもない。
都合が悪くなれば真っ先に捨て、
「統合しちゃった」といえば済むと思っている。

そこでもまた言っておきたい。
統合というのはそのひとが消滅するわけではないということを。
似非のひとびとは
「統合=此の世から抹消」だと思っている。

違うよ。
それは違う。

でも僕は彼女の多重人格ごっこに
無言で付き合っている。
腹いせリストカット類が実に鬱陶しいので
放置しとこうと決めたのだ。

もうなにも言うまい、と。

悪いけど僕は君が腹いせに腕を切り刻んでも
なにも感じない。
「あっそう」くらいは感じるかな(笑

でも彼女に感謝していることもある。
彼女のおかげでここのサイトの
入室条件がいろいろ浮かんできたから。

彼女は友達だよ。
おっとこれは重要ポイント。
でもそこに、
精神的なものはなにも含まれない。
同情はしない。
これ以上構ってもあげない。
似非ごっこに付き合ってあげてるんだから充分だろう。
僕は君を「カワイソウだ」なんて
言ってあげない。
これが僕なりの友情だ。

親友になりたいのなら、
真正面から挑んでこいよ。
裏口からの願書は受け付けない。
僕はそういう卑怯な手口は嫌いなんだ。

僕らは普通の人間だよ。
みんなと変わらない。
なにかが違うんだとすれば
それは、体が1個しかなかったことだ。
生まれてきたら、
僕一人の体がなくって、
みんなとくっついていたんだ。

君はベトナムの枯葉剤のことを
知っているだろうか。
妊婦が枯葉剤を使って生まれてきた子供は
みんな奇形児だった。
体がくっついていた子もいたし、
脳がついてなかった子もいたし、
眼球がない子もいた。

僕らは、体が1つしかなかったんだ。
なにが違う?
確かに肉体的ハンデはたくさんある。
でも、僕はここに生きている。
いま君の前に居る。

普通に人とも話すし、普通に人と笑いあって、
普通に学校へいって、普通に昨日見たドラマの話に花を咲かせ、
普通に人と喧嘩したり仲直りして、
普通に仕事をして、飲み会に行く。
普通にカラオケに行って、普通にゲーセンに行く。
普通にコンビニに入って、
新製品のジュースを手にとって、
みんなと味について評価しあったりする。

普通ってなんだろう。

君らのいうところの「普通」に当てはめて
教えてあげたけれど、
普通ってなんだろう。

僕が昔常連だったサイトの、
僕が嫌いだったひと。
「そのひとはふつうの生活ができないはずです。
そのひとは働くことができないはずです。」と
ある人へのレスでそう話していた。

憤りを感じたね。
なにをみてそういっているのか
小1時間(以下略

COSMOSを立ち上げた時、
僕らは焦点をそこに絞った。
詩MainSiteであり、
中心点は僕らにはない。

多くの人が中心点を僕らに絞り、
ある人はリンクで「日記中心サイト」と言い
ある人は「自己表現サイト」と言った。
自己紹介が無いといって未完成サイトだと言う人もいた。
掲示板がないから未完成サイトだと言う人もいた。
日記がないから詩が「読めない」という人もいた。

それでも僕らは「管理人」である以上
出来る限りニーズに応えようとはした。

日記もつけたし掲示板もつけたし自己紹介も書いた。

でも疲れてしまった。

これだけつまらない人たちで溢れているとは。
想像する楽しさなんて味わったことがないんだろう。

このひとってどんなひとなんだろう。
この詩はどんな想いがあるのだろう。

いつも無粋なメールや書き込みがある。

「で、この人死んだんですか」
「なにが言いたいのかはっきり言えよ」
「これじゃわからないよ」
「核心に触れてるようでわからない書き方」

僕らが敢えてそういう書き方をしてるのに。
人間は想像することを怠ったら
実にくだらない人間になっていってしまうと思う。

チラリズムと同じさ。
君はシャツからチラリと見える鎖骨と
はだけた体と
どちらがいいだろう。
エロ本はモザイクがあるからムラムラするのであって
全部見えてたらそれはただの
「そういう事実」でしかなくなってしまう。

そのひとが何者であるか?
そんなことは全く重要ではないのだ。
だから僕らがつくるサイトには
それらが必ず欠けている。

だから僕らがここを、
障害の解説サイトにしないのは
そういうわけだ。
だから障害のWEBRINGなどにも
あまり参加していないしする気も起こらない。

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