「パンドラの」

足の上に落としたものは、
遠い昔僕が彼女に贈ったあの木箱の音匣だった。
蓋が弾みで開いて流れ出たのは『別れの曲』だった。
後ろに彼女の影を感じた。

彼女の誕生日のお祝いに、
この曲を選んだ理由は特に無かった。
僕がショパンのこの曲を好きだっただけだ。
この先に何があるかなんて考えもしなかったし、
彼女も考えてはいなかったと思う。

彼女はピアノが好きだった。
習い始めたのは僕よりもあとだったけれど、
僕よりもずっと長く続けていた。
僕は彼女のピアノを聴くのが好きだった。
隣で静かに聴くのが好きだった。

彼女と僕の距離。
シャンプーの香りがわかるくらい?
制服のぬくもりをかんじるくらい?
彼女のちいさな息遣いがきこえる。
手を伸ばせばその腕を掴める。
僕の息遣いも届いてる?
僕の背中もあたたかい?
シャンプーはメリット。
風の様に髪が軽いよ。

抱きしめれば重たいよと笑う。
ささやけばくすぐったいと笑う。

手を伸ばせばその首も折れる。
握力は平均的な男子生徒並だってさ。
ねえどうしてだまっているの?
どうして何も言わないの?

僕は力をこめた。

ポーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン

長く響いて彼女は落ちた。
音の余韻もない。
ただあるのはスチィムの音。
時折、ギィギィギィギィとネジを回すような音。

僕のかわいいキキニンギョウ。

遠くでパタパタ笑いながら駆けていく
影絵の少女達。
僕は静かに長いKISSをする。
さよなら僕のベイビー。

窓の外は霧で向こうの山さえ見えない。
向かいの下の新校舎の
愚かしい僕の同級生たちが
蟻の様に動いて見えた。

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