「手話」をね、学校で教えればいいのにって、 
子供の頃からいつも思っていたんだ。 
幼稚園からでも小学校からでもいいけれど、 
「必修」として手話を覚えればいいと思うんだ。 
「手話」は国によって違うんだって、 
でもそれはうなづけるよね。 
生活様式が各国違うもの。 
なにも世界の手話を覚えなくたっていいんだよ。 
日本語だけ覚えればいい。
  
みんな手話が使えるようになったら、 
とても視界が広がると思うの。
  
覚えたら、相手の気持ちや、 
自分がなにをすべきかが、いまより明確に分かると思うの。
  
彼らは電車の中でも、 
手話でとても楽しそうに会話をしていて、 
いつも、輪の中に入りたいなって思う。
  
高校生のとき、手話の講習会に一週間通って、 
いろいろ学んだことがあって、 
その時、聾学校の同世代の子達と、 
ドラマの話や将来のことで、 
いっぱい盛り上がった。
  
何にも変わらないんだって実感した。 
英会話より、中国語より、もっと知るべきことが 
あるんじゃないかな? 
まず、日本語をきちんと学ぼうよ。 
それから、もうひとつの日本語も、 
きちんと話せるようになりたいね。
  
手話に限らず、社会の中で、 
不便に感じたことはたくさんある。
  
普段なにげなく歩いているけれど、 
突然歩けなくなったらどうする? 
複雑骨折をして、退院後に外へ出てきたとき、 
街の「車椅子用の通路」が、 
すごく大変だった思い出がある。 
それはすごく急な坂で、 
坂にすればいいと思ってる?と疑問に思ったし、 
あるときは片方、松葉杖をついていたんだけど、 
「障害者用」につけられた手すりが、 
すごく低い位置で、掴もうとすると、 
とてもじゃないけど歩けない。
  
駅でも、業者が床を水拭きしていたんだけど、 
松葉杖ってたった一滴の水ですべっちゃうんだよね。 
乾くまで一歩も歩けない。
  
自分がそうなってはじめてわかることって 
たくさんある。 
でもそれじゃあ、遅いんだよね。 
だから、いろいろ体験してみたらいいと思う。
  
大学の教育関係の授業だけでなくね。
  
はじめてわかるといえば、 
骨折して学んだことがもうひとつある。
  
みんな入院=お見舞いは果物かお花か? 
整形外科の患者に、植物はやめてほしい。 
花瓶の水をかえる、 
たったそれだけの動作が、 
かなしいかな、できないんだ。 
看護士さんにやってもらいなよって言うけれど 
みんな忙しくて、そんなのいちいち 
かえてくれないんだよね。
  
気持ちは嬉しいけど、処理に困っちゃう。 
枯らしてしまうのはかわいそうだし。
  
手話を必修に入れたいなんて言ったら、 
全国のお受験ママ達に怒られてしまうかな? 
週休2日制のゆとり教育の子供たちから、 
非難されちゃうかな?
  
でも、日本中、そういう学校になったら、 
いいなあ、とおもう。素敵だなあと、おもう。
  
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