卒業式
〜空と大地の裏側〜

「無題」1998

人間は生まれながらにして罪人(つみびと)である。

これは聖書の考え方である。
母方がカトリック信仰の家系であり
母が教会嫌いで通ったりはしていないし
自分は洗礼も受けていないものの
子供のころから何度も言われてきた言葉だ。

「お前は生まれた時から罪である」と。

いつも「なぜ生まれてきた」「こんな子は要らない」
「間違えて生んだからリセットしてやる」と
言われて育ってきた。

自分の存在が罪である。
生まれたときから罪にまみれて、
どこで息をすればいいのだろう?

息をしてはいけないのなら、
なぜ生まれてきたのだろう。

神を求めてる。
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ?ばかり浮かぶ。

なぜ自分はここにいるのか。

「無題」1998

1992年3月18日火曜日、その日もし晴れたら、
校庭のよく見える場所で彼女は死のうと思っていた。
S学園の卒業式だ。
彼女は兄に憧れていたから、卒業式に
仲間と晴れた校庭で笑顔で写っているアルバムを
いいなぁと思っていたから。

(S学園の卒業アルバムは卒業後に同窓会で配布される。
卒業式の写真を収めるためである。
普通の学校は事前に撮影しておいたものだけでつくるらしい。)

仲間なんかいない。笑顔で一緒に撮るひとなんかいない。
だけど彼女は愛していた。この世で。心から。
S学園を。先生を。同級生を。在学生を。校風を。歴史を。

愛されたいとおもっていた。
愛されないとわかっていても。

全員皆殺しにしてしまいたいほど愛していた。

1992年3月18日火曜日、その日は大雨だった。
写真撮影はホールで行われた。

神様なんか、いない。

彼女は雨だからもうだめだ、と言った。
晴れてなくちゃだめなの、と言った。

これは儀式だから。大事な儀式。
死ぬ為の儀式。自分を生贄に捧げる儀式。

神様はいない、と言うのに、誰に捧げるの。
人生の、ながいながい地獄での、
全ての自分たちに捧げるの。

でも、台無しになった。
だから日を改めよう、と彼女は言った。

大勢が、彼女に従わなかった。

地獄を生きていたのは、彼女の身代わりに生きていたのは、
彼女はいつだって泣いていただけで、
苦しかったのは、死にたかったのは、
全て自分たちなのに・・・そういう声だった。

そうして何人かが、自殺を決行した。
けれど肉体の持ち主である彼女が生きているから、
彼らがこの世から消えたことを
知っているのはそれを見ていた者だけだ。

彼らの祟りを彼女は恐れて泣いた。
家族を親友を恋人を失った者も泣いた。

あまりにも彼女が怯えて泣くので、
故人を悼んで自分がここに残り
みんなの思いを慰めるから、と
一人がその場所に生きたまま残された。

生きたまま犠牲にされたのだ。
彼女を生かすために。
死者を悼むために。

残された者の名前を「橘雪江」と言う。
愛を込めて雪ちゃん、と呼ぶ。

雪ちゃんは自分から残ると言った。
だから彼女を恨んだりしていない。

それは彼女もよくわかっている。

では先に死んだ者たちはどうか?
彼女を恨んで死んでいったのではないか。
彼女を憎んで死んでいったのではないか。
弱虫意気地なし、と言っていたのではないか。

この日を境に、
彼女は3月18日を恐れるようになる。

特に火曜日で、晴れたら、
死者が自分を殺しに来るだろうと、
怯えているのである。

忘れてはならない。

1992年3月18日火曜日を、
忘れてはならない。

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