君が世界に濡れてても、変わらず地球は回ってる

世界に悲観しているわけではなかった。
なにもかもあきらめているわけではなかった。
むしろいつも求めているほうだった。
でも歩くのに怯えていたんだ。
たかが一歩。されど一歩。
踏み出す勇気がなくて、
あたしはただ月を見上げて、
泣いた。

「どうして?」世の中にはどうしてばかりだ。
どうしてあたしが、って言って世界に匙を投げるのは簡単だ。
でもそれは負け犬だ。屈服してしまった台詞だ。
あたしはいやだ。それがいやだ。
運命なんてない。
そんな線路は走りたくもない。

大人になって出来た友人に、
「絶対」を連呼する子がいる。
すぐ「絶対」という。
あたしはこの言葉が嫌いだ。
絶対とか、不可能とか、そんなものはないよ。
でも、母はすぐ「絶対」だとか「不可能」だとか、
「無理」だとか言う。
なにをもってして言い切るのだろう。
根拠のない言い切り。
ああ、卒業論文は書けないな、君達。

夏になると思い出すことがある。
陽炎がゆらゆら揺れている、
あれは鵠沼海岸の踏み切りの地蔵の前だ。
暑さでみんな朦朧と揺れている。
そこに本当にいるのかいないのかさえ
地蔵の夢かのようにわからない。
踏み切りのない時代に、
S学園の生徒とK小学校の生徒が
轢かれて死んだ。
その地蔵を定期的に世話をする老婆がいた。
死んだ子供の母親だろうか。
自転車に乗って去ってゆく老婆を
ケーキ屋の角でじっと見送る。
足元にはクローバーに似た雑草が繁った青い鉢が置かれている。
帰り道いつもそれを抜いて、
同級生の女の子と絡ませあって草相撲をして遊んだ。
その草がつけるピンク色の花が
世界中で一番好きな花だ。名前は知らない。

カン カン カン カン・・・・・

家に帰れば麦茶がある。
ああでも家は遠く、遠く、想像もつかない。
あたしは線路に立っていた。
生徒は、ほとんどみな随分前の電車で帰った。
ホームには、江ノ島方面へ帰る子供が、
1人ぽつんと座っているが、あたしには気付いていないで、
ホームのずっと先の柵の下にしゃがんで、草をいじり始めた。
あたしは線路に立っていた。
このまま立ち続けていたらどうなるかなんて、
電車通学をしている子供たちは誰でも知っている。

カン カン カン カン・・・・・

遮断機が下りても発車する音がなっても
あたしは線路に立っていた。
死ぬつもりだったのだ。
いつも林や階段でやっているような、
勇気試しとはわけが違う。
唾をのみこんだ音がやけに耳に大きく聞こえた。
心臓の音がこれでもかというくらい大きく聞こえた。
世界があたしひとりになったみたいに近くて狭かった。
瞬間、遮断機が頭の上すれすれのところにあった。
熱いむっとした風が舞い上がって、
あたしは茫然と、ただ茫然としていた。
擦りむいた手のひらが無情にも痛い。
頭が真っ白くなった。

あたしは死にたくなかった。
でも死にたかったに違いない。
あたしのなかでは、あたしは社会の一個人だった。
あたしの心は、あたしのものであり、そうでなかった。
社会は、狭い器のなかにあるのに、
先も見えないほど広かった。
あたしはその社会のなかで、名を貰い、命を知り、
生きてきた。
戸籍にも載っていない。法的にも権利がない。
けれどあたしはここに今を生きているのだ。
キホンテキジンケンノソンチョー。
なんだそれは。そんなものは無い。
あたしにあるのは、
使命のみ。そこに私的感情は含まれない。
じゃあ、あたしってなんだろう。
あたしに代わりはいないのに、
あたしの代わりは、いる。
理想と、ゲンジツ。
この身体を壊せば、あたしはあたしのまま死ねる。
この身体がある限り、あたしはまた創られる。
でもそれはあたしじゃなくて、
あたしの名前と顔と声と記憶を渡された別のひと。
それがかなしくて、
それがくやしくて、
あの日あたしは線路に立った。
あたしがあたしでいるために、
小学生が見出したこたえはあまりにも稚拙で、
大人はなぜ?とかどうしてそうなるの?というけれど、
それしか見つからなかったのだ。
当時は、自分が自分らしくいることが、
ゆるされていなかったから。

あたしという存在は、
将棋の駒みたいに、いつでも前線に立っていて、
振り返ることをゆるされない。
それを不思議にも思わなかった少女時代。
生きていくことに挫折はつきものだ。
障害は乗り越えなくてはいけない。
生きているから。
生きているなら。

あたしという存在の、
この身体は、たったひとりのものではなかった。
あたしひとりのものではなかった。
それにギクリとしたのは、
9つか10の頃だった。
世界にはいろいろなひとたちがいるように、
あたしの育ったこの社会にも、
たくさんの知らないひとたちがいる。
あたしは豆粒のひとつだったのだ。

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